松江カトリック教会の歴史

ヨゼフ翁

 松江市母衣町にあるコンクリート建て聖堂と鐘楼の教会は、1963(昭和38)年に新築され、2003年6月で献堂40周年です。
 この聖堂は、スペイン国マドリッド市におられたドロレスとマリア姉妹の助成がありました。
 妹ドロレス・アルカルテは幼少より病身で、高校より闘病生活。その間の著書、絵画等、亡き後は日本のカトリック教会にと委嘱して帰天。萩教会・ピエラ神父より松江教会の聖堂老朽化し新築の計画あるを知った姉マリア・アルカルテは、妹の遺産をそのまま松江教会に寄贈され、現在の聖堂が建設されました。
 さて、この松江教会は、1890(明治23)年、神戸下山手教会・ペラン神父が松江地方布教に尾谷伝道婦派遣、1897(明治30)年、パリ外国宣教会・アングレル神父初代主任司祭として来松、雑賀町・三島金之助宅を講義所とし、出雲・石見・隠岐もあわせ布教。1898(明治31)年1月、阿郷トク受洗、松江教会初の信者となられました。この年講義所は内中原に移転、1907(明治40)年、内中原より今の母衣町に移転し、司祭館とコック住宅2棟竣成。主任司祭レネー神父、信者数50余名。
 1917(大正6)年、信者・弓削田(ゆげた)千吉、自費で伝道場を新設。
 1922年(大正11)年、松江教会はパリー外国宣教会よりイエズス会の担当に移管。
 1928(昭和3)年、松江教会信者・都田耕造司祭に叙品。太平洋戦争中も松江教会からは1942(昭和17)年、佐々木鉄治司祭に叙品、1943(昭和18)年、小出哲夫司祭に叙品されました。以後、司祭・修道者が、多く召し出しを受けています。
 1949(昭和24)年、聖フランシスコ・ザビエルの聖腕来松。県知事、松江市長ほか多くの方々が教会の式典に臨席されました。
 冒頭の1963(昭和38)年、教会新築の時は信者数460名に達していました。
 1974(昭和49)年、松江教会管理運営が広島教区司祭へ移管、以後、教区司祭が主任司祭を務め、福音を伝え聖書研究会も熱心に開催。暁の星幼稚園保護者と信者の合同活動も盛んに実施、外国の方々のためのミサも行われています。


最初の松江カトリック教会(1897〜98年)

弓削田千吉氏庭にて(1920年7月)

市内呉服店にてカトリック美術展(1940年)

松江教会聖体行列(1951年5月20日)

旧聖堂前で最後の記念撮影(1962年5月6日)

旧聖堂解体(1962年)


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