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 なお、キリシタンと関係あるかどうか不明ですが、「安来の歴史」では、佐久保町の旧家、大庄屋実重家(現在吉田町)からの古文書で元禄九年、下郡庄三郎、並びに安来今津屋六郎左衛門、其外七人松江入牢、今津屋六郎左衛門、薬屋源太郎両人打ち首、等、その他、他国追放、郷払いのことなどあり、この件については詳記されず。お口止めになった事件ではとある。
 この1年後、1697(元禄10)年、揖屋の庄屋・岡村理左衛門天主教徒(キリスト教信徒)の件で、はりつけとなるも信徒の消息黙秘死す。東出雲町誌に記載、安来の徳応寺には、ころび切支丹の女子の埋葬した過去帳がある。鳥取県史には、ころび切支丹も血族の子孫まで記録され宗旨庄屋が保管し女子三代、男子七代まで病死しても藩に届出て遺体を塩漬けにして約1ヶ月、藩から江戸宗旨奉行の許可を得てから初めて埋葬とある。
 しかし、かくれ切支丹徹底的に掃討されたかにみえたが、逆に、より以上の信仰心に燃えたとある。現に1732(享保17)年「出雲人別帳」大目付提出に「天主教党、ナホ存ス。帳ヲ監察使ニ呈ス。十一月揖屋村市三郎妻疾ヲ以テ死ス。同教徒市三郎モ翌年四月十一日病死」の記載、東出雲町誌にあり。根強い信仰は「あかごもり」(マリア観音)の恵みであろうか。揖屋町には今も役場の近くに通称「あかごもり」さんがひっそりと祀られています。
 中海から吹いて来る風は揖屋のあかごもりさん、赤江南蛮寺近くの地蔵さん。又、荒島日白、毛人屋敷跡の地蔵さんにと今も昔も変わらず吹き続けています。その風の音を、広い安来の論田に立って聞くとき、先輩の信徒の方々は今もなお主の御名を讃え、主の愛と平和が世界中に広がるよう祈っておられるように感じた。
 論田の風は強くきつい。『何をしている。今。今。戦争が罪のない多くの弱者の命や子供の命等を奪っているではないか。主は平和のために働く者は幸いと言われた』風の怒りの声がきつく私の顔を打って去っていきました。私にできることは今何か、先人にも吹いた風の中で考えさせられました。


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